インタビュー

参加者インタビュー(2009年)

国際機関 FAO日本事務所副代表
国安法夫さん

10月14日に国際連合食糧農業機関(FAO)と国連世界食糧計画(WFP)が共同刊行した年次報告書「世界の食料不安の現状」において、2009年が終わるまでに、世界の飢餓人口は史上最高の10億2000万人に達すると報告されました。世界で飢餓に苦しむ人々の栄養状態と生活水準を改善し、すべての人々が健康な生活を送ることができる世界を目指している国連食糧農業機関(FAO)。コラム最終回に、 FAO日本事務所副代表の国安さんにお話を伺いました。

なぜ地球規模で取り組むのか

飢餓の問題は、日本を始めとする先進国に住む私たちには一見無関係のようにも思えてしまいます。ではなぜ、この問題に世界中で取り組んでいかなければならないのでしょうか。「世界の国々を見渡してみると、食料が十分にある国と十分にない国に分かれています。十分にある国では食料が大量に捨てられたり、飽食の問題を抱えている一方で、食料が十分にない国は飢餓に直面しています。なぜそれらの国で食料が足りなくなってしまうのか考えてみると、多くの人が貧困に直面していたり、内紛が起こっているために政府が機能していなかったりと、国内で多くの問題を抱えていることが挙げられます。でも、それだけではありません。環境問題の悪化によって今までは採れていた食料が十分に収穫できなくなってしまったり、平等に利益が得られないような貿易のルールがあったりと、その国に住む人々ではどうにもならないような地球規模での問題も大きく影響しています。これらは開発途上国の人々だけが解決に向けて頑張ればどうにかなる問題ではありません。食料が十分にある国に住む人々も、自分たちに何ができるのか考えて行動し、解決に向けて取り組んでいく必要があります」。

 

世界につながる日本人の食卓

食料が十分にある国、日本。自分や家族が食べるものには関心が高い私たちですが、食品の産地や生産過程だけではなく、その先にあるものにも目を向ける必要があると国安さんは話します。「ここ2~3年で日本の消費者の食に対する意識は確実に変わってきています。でも、食べ物がどんな状況の国のどんな人たちによって作られているのかまでは知らない人がほとんどでしょう。こうした情報について、今まで以上に伝えていく必要があるのではないでしょうか。私たちの食卓の向こう側には十分に食べられない人々の現実があるということを知ってもらう必要があると思います」。

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食の問題を解決するために

世界に目を向けてみると、6人に1人が飢餓に苦しんでいる現実があります。また、その現実は一昨年から昨年にかけて起こった食料価格の高騰や長引く世界的な経済不況によって、より深刻なものになっています。家計に占める食費の割合が6~8割にもなる開発途上国に住む人々は、その影響を一番に受けています。「数字にしてしまうと数が大きすぎて伝わりにくいですが、飢餓に苦しむ10億人には私たちと同じように家族がいて、それぞれの生活があります。その人たち一人ひとりの顔が見えるようなストーリーを伝えていくことで、今世界が抱えている現実をより身近に感じてもらうことができたらと思っています」。

この深刻な問題に立ち向かうために、私たちには何ができるのでしょうか。「世界の飢餓問題を解決するためには、一人ひとりが考え行動することが大切だと思います。そのためにはまず2つのことを知って欲しい。一つは世界の状況です。日本にいても情報がたくさん得られる時代になりましたが、若い人たちにはぜひ自分の目で世界を見てきてもらいたいです。そしてもう一つは、その状況を解決しようと活動している人たちのことです。FAOのような国連機関だけではなく、NGOや政府機関など、たくさんの人たちが飢餓をなくすために奮闘しています。国内外で活躍する人たちと直接会って話をすることで、世界の問題を身近に感じ、自分のこととして捉えられる人がもっと増えたら」と国安さん。

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食べ物が足りないことで課題に直面している人々と、食べ物がありすぎることで課題に直面している人々。その架け橋になるのは問題の解決に向けて活動している“人”なのかもしれません。いずれの問題も、頭を抱えて考え込むのではなく、解決に向けて具体的な一歩を踏み出すことで、世界の食と日本の食をより良いものに変えていけるのではないでしょうか。

 

プロフィール
1954年生まれ。長野県出身。北海道大学農学部卒業後、農林水産省に入省。かんがい技術者として、地方勤務を含め日本国内で農業・農村の振興に従事する一方、バンコクでのメコン川水利用調整委員会事務局、ローマでのFAO本部技術協力局勤務を経て、2005年11月からFAO日本事務所において副代表として勤務。

FOOD ACTION NIPPON 事務局長
芳野忠司さん

50年前までは70%以上あった日本の食料自給率。今は41%にまで下がり、主要先進国のなかで最低水準になっています。そんな中、2015年までに食料自給率を45%にすることを目指して農林水産省と民間の企業・団体が始めた「FOOD ACTION NIPPON」。その事務局長として、食料自給率の向上に取り組んでいる芳野さんにお話を伺いました。

食料自給率を上げることで変わること

国産の食材を選ぶことや食べることの大切さを伝えながら、食料自給率を上げることを目指している「FOOD ACTION NIPPON」。地球規模で深刻化している食料問題と私たちの食との関わりを新たに考えるために政府が開催した「食料の未来を描く戦略会議」をきっかけに立ち上がりました。海外から食料を大量に輸入することで成り立っている私たちの食生活は、世界の流れが変わることによっていつ不安定になるかわかりません。また、食べものをつくるために使われる水や土地など海外の貴重な資源にも頼っていることになります。さらに、遠くから運ばれてくる分だけ石油などのエネルギーが多くかかり、地球環境にも負担をかけてしまいます。「どこで作られたどんな物かを気にせずに、とにかく安いものを私たち消費者が選び始めると、商品を売る側も、生産者や生産工程はさておき、少しでも安いものを店頭に置こうとします。飲食店であれば、少しでもコストを下げて安い値段で食事を提供しようと、安い食材を選ぶようになります。私たち消費者が、多少費用がかかっても、できるだけ国産のものを選ぶことは、地球にも優しい選択になります」と芳野さん。

 

消費者の選択が変えるもの

食品の産地偽装など、食にまつわる暗いニュースが飛び交う中で一見弱い立場にあるように見える私たち消費者。でも、最近では消費者が食の安全について敏感になったことで、スーパーマーケットなどの野菜売り場には、国産の野菜や生産者のわかる野菜がたくさん並べられるようになっていると芳野さんは指摘します。こうした変化は店頭の野菜売り場だけではありません。「例えば、以前は旅館で食事をすると、食べきれないほどの品数の料理が出されることがよくありましたよね。でも、ただたくさんの量の料理を提供すればお客さんが満足してくれるという時代はもう終わったのではないでしょうか。その土地の素材を生かした料理を少しだけ食べたい、食べ切れる量の料理だけを出してもらってできるだけ残さない、というように消費者の意識も変わってきていると思います。そういった消費者の食に対する意識の高まりは、商品を売る側の意識を変える力をもっていると思います」。

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食べる量を減らすのではなく、毎日の食事を大切にする

日本の食を変える力をもつ消費者の選択。私たちには、自分が選んだ食事に使われている食材がどこから来て、どんな人が作ってくれたのか、今以上に考える責任があるのかもしれません。「食の問題は環境問題とは違います。今までつけっぱなしにしていた電気をこまめに消したりするように、消費する量を減らせば解決に向かうというものではありません。健康に生きていくためには一日三食きちんと食べることが必要なので、食べる量を減らすわけにはいかないのです。一方で、私たちの食生活は昔と比べて豊かになったといわれていますが、本当でしょうか。確かに食材の種類は豊かになったかもしれません。でも、それは自分の体や日本の食の未来、生産者や地球にも優しい食生活といえるでしょうか」。芳野さんは、国産の食材や旬のものにこだわった学校給食を提供しようと奮闘している先生や栄養士が増えてきているものの、食事をとる場所は学校だけではないと話します。「家で家族と一緒に食べたり、お店で友人と一緒に食べたりとさまざまです。なので、子どもを持つ親も、いずれ親になるOLやサラリーマンも、日本に暮らす誰もが毎日の食事を大切にし、それが自分の体だけではなく、国内外の生産者の暮らしや地球環境にもつながっていることを知ってほしいと思っています」。
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私たちにできること

「FOOD ACTION NIPPON」では、食料自給率を上げるために私たちにできることとして旬の食べ物を選ぶこと、地元で取れる食材を選ぶこと、ごはん中心のバランスの良い食事を心がけること、食べ残しを減らすこと、自給率を上げるための取り組みを応援することの5つを掲げていますが、芳野さんが私たちにできることとして提案してくれたことはもっとシンプルです。「私たちにできることで何よりも簡単なことは全部食べることだと思います。自分に見合った量だけを買って食べる。少しずつでもいいので、自分の食生活を変えていくことが大切だと思います」。

私たち消費者の選択は、日本の食に関わる世界中の多くの人たちの選択を変える力をもっています。また、私たちが毎日何気なく口にしている食事は、日本だけではなく地球の未来にもつながっています。開発途上国にも日本と同じように、食生活の変化を受けて食料自給率が下がっている国があります。日本ではお金があるため、食べ物を輸入することで食料をまかなうことができます。しかし、開発途上国が食料を輸入に頼るようになるとお金がないためその確保が難しく、食料の供給が不安定なものになってしまいます。日本は食料自給率を上げる経験を海外に伝えていくことでも、世界に貢献していくことができるのではないでしょうか。

 

プロフィール
1970年生まれ。埼玉県出身。日本大学生産工学部卒業後、JTBに入社。JTB首都圏・首都圏交流事業推進室室長として、旅館・ホテルを始めとする地域のネットワークを活かした新規事業開発を担当した後、2008年10月にFOOD ACTION NIPPON事務局創設において事務局長として就任。

 

栄養士 境南小学校
海老原洋子さん

世界中から食べ物が届く日本。私たちは豊かな食生活を送っているようですが、朝食を抜いたり、一人で食事をとることが当たり前だったりと、最近では子どもたちや若い世代の食生活の乱れも指摘されています。そんな中、東京・武蔵野市の境南小学校で36年間に渡って、給食を通して食の大切さを子どもたちに伝えてきた栄養士の海老原洋子さんにお話を伺いました。

食べられない人がいるって、本当?

「えっ! 世界には食べられない人がいるなんてウソだよ!!」。課外活動で、子どもたちに世界の飢餓の状況を伝えた海老原さんは、こんな声を耳にしたといいます。日本の小学生の子どもたちにとって、食べ物があることがあたりまえ。お肉が好きで野菜は食べたくない……そんな風に、食べたくないものは食べずに暮らせる環境にいる子どもがほとんどです。「説明しても、飢餓に苦しむ人がいることを半信半疑に思った子どももいました。口頭ではなく、テレビのドキュメンタリー映像を使って状況を伝えると、やっと信じたようで、本当に驚いていました」。そう話す海老原さんは、2009年3月に定年退職を迎えるまで36年もの間、東京・武蔵野市の境南小学校で、“作った人の顔が見える学校給食づくりを”実践し、子どもたちに食の大切さを伝えてきました。

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安心・安全の給食

海老原さんが学校栄養職員として勤務しはじめた1970年代は、食品添加物、魚の水銀汚染など、お母さんたちの間で食への不安が高まっていたころ。生産者の顔が見えるようにと、生協での産直活動に励むお母さんも多くいたそうです。そこで、学校給食でも出どころのわかる安心・安全の食材を使うよう徹底したいと、海老原さんは学校、家庭、地域と連携しながらよりよい食材の調達を行ってきました。有機・国産の原料の調味料を使うほか、野菜は有機農法でつくられた旬のものを生産者と直接契約で仕入れています。お肉も生産者から仕入れ、豚は、養豚者の協力を得て、頭からしっぽ、内臓まで1頭買いしているそうです。「よい食材を使うことで、本当においしい給食ができます。1人あたり月3800~4100円という給食費の中でやりくりするのは大変ですが、その分、地域の方や生産者の方たちがお手伝いしてくれます。境南小の子どもたちに食べてほしいと、ときどき野菜をプレゼントしてくださる農家さんもいるんですよ」。

 

給食のごはん、うちでもつくって!

当の子どもたちにとっても、境南小の給食は特別です。家でも給食と同じメニューを食べたいとお母さんたちにせがむ子どもも多く、お母さんから作り方への問い合わせが寄せられ、海老原さんはレシピをお便りで配るようになりました。ところが、レシピ通りにつくっても子どもから味が違うといわれるというお母さんたちからの要望で、定期的にお料理教室が行われることに。こうして、地域のお母さんたちとのつながりも育まれてきたそうです。給食で使う野菜は無農薬のため皮ごと食べられますが、機械で皮をむいたり、カットされた野菜を使ったりできない分、加工に時間がかかります。そういった下ごしらえには、地域のお母さんたちがボランティアとして参加し、手伝ってくれるまでになりました。 また海老原さんは週に数回、学年やクラスを越えて食事をともにする『団らん給食』、地域のお年寄りなどと一緒に食事をとる『ふれあい給食』などの試みも実施。核家族化が進み一人で食事をとる子どもが増えている中、さまざまな人とともに食事をとる楽しさを知ってもらいたいとはじめたことです。孫と一緒に給食を食べたことがきっかけとなって、15年間も学校の食堂に季節のお花を活け続けてくれたおばあちゃんもいたそう。こうして、地域ぐるみで子どもたちの給食をつくりあげてきました。

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○○さんのおいしい野菜

海老原さんは、食材がどこから来たのか「給食だより」でお知らせしたり「生産者の紹介」などの掲示物をつくったりと、子どもたちの食材への関心が高まるような工夫を凝らしています。こうすることで、「○○さんの野菜は、いつもおいしい!」などと、子どもたちが自然に給食の食材をつくっている人たちの存在を意識するようになりました。また課外活動として、食材を訪ねるバスツアーや農業体験も実施。草取り、落ち葉掃きから肥料作りまでを体験し、土の栄養がどう野菜になっていくのか子どもたちに体で覚えてもらい、苦労して育てたものを給食で食べます。そんな経験を積み重ねていくと、卒業するころには、食べ物の大切さ、食べ残しをしない習慣が自然に身についていくといいます。

 

子ども時代の体験が、原点に

卒業生の中には、農家を目指したり、栄養士になった子どももいます。忘れられない学校給食の思い出。それが、大人になっても影響を与えているのです。実は海老原さんにとっても、子どものころの体験が36年もの奮闘の原点でした。「私は小さいころ体が弱く、黄疸が出ることもしばしば。そうすると、おばあちゃんがさっとミカンの皮を煎じて飲ませてくれたり、大根をいっぱい使った汁物をつくってくれたり。症状に合わせて食材を選びおいしい料理を作ってくれました。その医食同源の体験が、知らず知らずの間に身についているのかもしれません。いまの子どもたちにも、ファーストフードや化学調味料漬けの食事ではなく、食材本来の味と栄養を体に取り入れる食事を知ってほしいのです」。

今日食べるものが、自分の心と体を育むこと。食べ物を育む土、水、太陽、そして育ててくれた農家さんのおかげで、食事がとれること、生きていけること。そんなことが子どものころから実感できれば、日々の食事を大切にし、世界の人に負担をかけない食事にも思いをはせられるかもしれません。小学校の給食という、日本に暮らす誰もが子どものころに食べるお昼ごはん。そんな食の現場で、海老原さんのように奮闘する栄養士さんや先生は増えています。こうした人たちと一緒に、子を持つ親として、食にかかわる生産者として、もしくは学校の地域住民として、私たち一人ひとりにできることがありそうです。

 

プロフィール
東京都武蔵野市の嘱託職員。1972年より学校栄養職員として36年間、武蔵野市立境南小学校の給食に関わる。1つの小学校で定年まで勤務することは全国でも異例。お母さんたちの署名運動により実現。豚の一頭買いなどに取り組み、地産地消の学校給食づくりの先駆者。現在は嘱託職員として、武蔵野市内の学校給食のアドバイスを行っている。

 

飲食店 ギャラリーカフェバー縁縁オーナー
両角由美さん

結婚式や歓送迎会などで大量に出される料理。食べ切れずに残してしまい、もったいないと思ったことがある人も多いのではないでしょうか。食料の約6割を輸入に頼る日本で、1年間に捨てられる食べ物の量は約1900万トン。そのうちまだ食べられたはずの食べ物は500~900万トンといわれています。今回は、国際協力NGOと協力して、食べ残しなどの生ゴミを減らす取り組みを行っている、東京・麻布十番の「ギャラリーカフェバー縁縁」のオーナー両角さんにお話をうかがいました。

食を通して生まれるつながり

グラフィックデザインの企画・制作会社を共同経営する両角さん。仕事やプライベートを通して出会う才能のあるアーティストに少しでも発表の場を提供したいと、仲間と始めたのがギャラリーカフェバー縁縁でした。両角さんは、アーティストの作品を展示する場所として、なぜ飲食店を選んだのでしょうか。「人々が生きるために欠かせない衣食住のなかで、食べることは一番大切なこと。それに食べ物を提供する場所には自然と人が集まってくるので、新たなコミュニケーションが生まれやすいと思ったからです」。

縁縁では作品の展示だけでなく、キャンドルアーティストと一緒にキャンドルの明かりだけでお店をオープンしてゆったりした時間を過ごせるイベントを月1で開催したり、お客さんにマイコースターを作ってもらってお店で預かることで使い捨てを減らしたりと、環境を意識した取り組みを実践しています。また、カフェで提供しているコーヒーには、森林や野生動物を保護し現地労働者の権利が守られるレインフォレストアライアンス認証の豆も使っています。このような試みを通して、人と人との新たなつながりも生まれているといいます。

 

飲食店にできること「生ゴミダイエット作戦!」

2007年6月には、そんな話を聞きつけた国際協力NGOハンガー・フリー・ワールド(HFW)が、縁縁で西アフリカ・ベナンの写真展を開催。実は、この写真展で一番心を動かされたのは、毎日写真を目にする縁縁のスタッフだったそうです。世界には十分に食べられない人たちがいる中で、仕事とはいえ毎日食べ物を捨てている自分たち。そこで、何かできることはないかと、2007年10月からHFWと一緒に、「生ゴミダイエット作戦!」を始めました。これは毎日お店から出る生ゴミの量を計測してHFWのホームページに掲載。お店から出るゴミの量を公開するという大胆な取り組みです。始めた当初は一部のスタッフから「何でこんなことをやるんだろう」という声があがったことも。「ダイエットって始める前は腰が重いかもしれません。でも、やり始めて500グラム、1キログラムと体重が減っていくとトレーニングにも身が入るし、どうやったらより楽しくできるか、より体重が減るか考えるようになりますよね。生ゴミのダイエットもそれと一緒。毎日の結果を数字で見えるようにしたこと、毎日必ず量るとルールを決めて取り組んだことで、スタッフにとって生ゴミを減らす試行錯誤が、徐々に当たり前になっていきました」と両角さんは振り返ります。

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新しく生まれるアイデア

今年で3年目に突入する「生ゴミダイエット作戦!」。今では生ゴミの量を計測して報告するだけではなく、調理場から出る生ゴミを減らすために、スタッフ1人1人が食材を大切にするようになったそうです。「野菜を皮ごと食べられるよう工夫したり、仕込みの量を調節したり。お店から出る食べ残しに対するスタッフの意識が変わったことが、一番の成果だと思います。今では、生ゴミが多く出た日には、なぜ今日はこんなに食べ残しが多かったんだろう、と振り返りながら、仕込みの量を調整するなどしています」。 他にも、どうしても減らせなかった生ゴミを肥料にしようというアイデアがスタッフから出され、実現に向けて試行錯誤中です。「できた肥料をお店の観葉植物にまいたらどうだろう」、「ガーデニングが趣味のお客さまにプレゼントしたら喜ぶかも」など、新しいアイデアが次々と生まれています。「お店で出てしまった生ゴミを肥料にして畑にまいて、その畑で育てた野菜をお店で料理して、という姿が理想です。地方だと実践しているお店があると聞いていますが、いつかお店のある東京・麻布十番でもそんな循環が生み出せたら最高ですよね」と両角さん。

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物を大切にすること、無駄をなくすこと

両角さんは、今年に入ってから野菜ソムリエの資格をとり、その知識をお店のメニュー開発に生かしています。また、自宅で栽培したバジルをお店の料理に使ったりと、取り組みはお店の中にとどまりません。日頃の買い物や料理の際にも、できるだけ無駄を出さないように心がけているそうです。「私たちにとってはモノがあふれていることが当たり前ですよね。日本では、食べ物やきれいな水を含めさまざまなモノがあることに慣れきってしまい、感謝の気持ちが薄れている気がします。そんな私たち日本人にとって、食べ物が足りていない人たちの気持ちを本当に理解することは、正直言って難しいかもしれません。でも、自分の目の前にあるモノを大切にすること、無駄を出さないように意識して生活することは、誰にでもできるはずです」。

ある日、偶然生まれたつながりから育まれた、食べ物を大切にし無駄をなくそうとする意識。楽しみながら続けてきたことで編み出された新たなアイデア。まずは、他の誰かではなく自分自身の日常生活を見つめなおし、自分にできることから始めてみることが、周りの人たちの食に対する意識を変えていく第一歩になるのかもしれません。世界中で生産された食料に支えられて成り立つ日本人の食生活。私たちの食への意識を変えていくことは、世界の食問題の解決に無関係ではないはずです。

 

プロフィール
株式会社スタジオイー・スペース取締役、野菜ソムリエ。2003年、4名の共同オーナーにてギャラリーカフェバー縁縁を設立。2008年夏には、人にも地球にも優しい情報を発信するWebサイト「ロハスイッチ」を開設。野菜ソムリエの資格を取得し、旬の野菜を取り入れたカフェメニューの開発など、食を通じてのコミュニケーション にも積極的に取り組んでいる。

 

食育施設スタッフ ごはんミュージアム
堀田志津子さん

世界では、十分に食べることのできない人の数が急増しています。一方、食料の約6割を輸入に頼りながら、その多くを捨ててしまっている私たち日本人。日本人が、一人ひとりの食生活を見直す時にきています。そんな中注目されているのが、地球規模での食料事情や環境問題、食の大切さなどについて考える“食育”です。仕事として食育に関わるかたわら、プライベートで日本のおいしい食材を紹介する会を主催する堀田志津子さんにお話を伺いました。

日本人の食を見直したい

東京・有楽町で食育施設スタッフとして働く堀田さん。もともとは国際協力の仕事に就きたいと考えていたそうです。「高校生のときに湾岸戦争のドキュメントがテレビに流れ、映し出された石油まみれの鳥が衝撃的でした。それから環境問題や食料問題に興味をもち始め、大学で国際関係を勉強しました。ですが、その頃は遠い国で起こっていることを身近な課題として捉えることがでず、解決のために自分が何をしたらいいのか、具体的な行動に結びつかなかったんです」。

大学卒業後、まずは経験を積もうと宮崎県の有機農場で半年間のボランティア活動に参加。この体験がきっかけで、日本人の“食”に目を向けるようになりました。「農作業中の風の変化で季節の移ろいを感じたり、育てた鶏を絞めてお祭りで食べたり。そんな経験から、食べ物を育む自然と土への感謝の気持ちと、食べることは命をいただくことだ、という実感が生まれました。同時に、自分が海外に出て食べ物に困っている人を助ける前に、あふれるくらいの食べ物に囲まれて暮らす私たち日本人の食べ物への感覚を見直したいと思いました」。


子どもたちを育む「食体験」

まずは日本の食材の魅力を伝えることから始めたいと、ご飯食を身近に感じてもらう食育施設「ごはんミュージアム」で働き始めた堀田さん。空きビンでお米を精米したり、おにぎり教室を開いたりと、子どもたちを対象に、五感で食を体験するプログラムを実施しています。「ラップを使わずに素手でおにぎりを握ってもらいますが、水加減がわからなくてぽろぽろご飯粒をこぼしてしまう子も。でも、失敗しながらも、お米に触ったり、においをかいでみたりすることで、普段は何気なく食べている食材に、すべての感覚で向き合うことが、子どもにとって何より重要な経験だと思っています」。

子どもたちに、食べる喜びとご飯のおいしさを再認識してもらう一方で、ご飯食離れが進んでいる現実を目の当たりにすることもあるそう。「子どもたちに昨日食べた物を思い出してもらい、3食とも主食がご飯だった子に手をあげてもらうと、30名中5名ぐらいしか手をあげません。他にも、学校の先生に、給食で白いご飯が出ると残りやすいと聞いたことがあります。ご飯が炊き上がるときの匂いを『気持ち悪い』と嫌がる子どももいるそうです」。こうした仕事を通して堀田さんは、食の選択肢がたくさんある日本で、子どものころの食体験が、大人になったときにどのような食材を選ぶようになるのか、その選択の礎になると気づいたといいます。

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日本の食材を知る楽しさ

堀田さんは休日にも、友人や知人と一緒に、お米やお味噌など日本のおいしい食材を食べ比べる会を開催しています。「日本で生産される食材には、おいしくて品質の高いものがたくさんあるのに、安い農産物が海外から入ってくることによって生産が落ち込んできています。日本の農業技術や加工技術はとても高く、海外にも誇れるものなのに残念です。生産者だけではなく消費者の私たちも、日本の食材に自信や誇りを持ってもらいたいです」。日本の食材の味わいや奥深さを知る楽しさ、自分なりのこだわりをもつ嬉しさ。多種多様な料理を食べられることが当たり前になった私たちは、いつの間にか食材そのものを味わう喜びを忘れてしまっているのかもしれません。実際に堀田さんが銘柄米の食べ比べを開催したときには、参加者から「おかずなしでお米だけで、こんなにおいしいなんて! それに銘柄によっても味が全然違う」と驚きの声があがったそうです。

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私の食と世界の食

食育施設のスタッフとして働きながら、プライベートでも日本の食を広める活動をしている堀田さん。このような経験を通して日本にある身近な食材を見つめなおしたことが、世界の食の問題にも目を向けるきっかけになったと話します。「日本人が食について考えるとき、世界で起こっている飢餓や、遠く離れたお腹をすかせている子どもたちのことを思い浮かべる人は少ないと思います。私自身も、じっくりと一つひとつの食材を味わい楽しむことから、逆にその食材がどこで生産されたものなのか、世界とどうつながっているのかを考えるようになりました。なので、まずは身近な食材がどこから来ているのか考えてもらうことが、世界の食問題に目を向けてもらうための第一歩になると思っています」。 大学時代には遠いと感じ、自分にできることはないとあきらめてしまった世界の問題が、自分の“食”を見つめ直すことによって、グッと近くなったと語る堀田さん。今は、食育を通して、地球上の限られた食料を共に分かち合って生きている世界の人たちにも、目を向けられると確信しています。

私たちの食生活を今すぐに変えることは難しいかもしれません。けれど、まずは身の回りの食材一つを手にとり、関心を持ち、疑問を投げかけることから、世界とのつながりを見つめることはできるでしょう。日本と世界の食問題。日本の食と世界の食。自分の問題として考えられるような体験を積み重ねること、楽しみながら前向きに取り組むことなど、問題の解決に向けて共通していることはたくさんあるようです。

 

プロフィール
1979年生まれ。千葉県我孫子育ち。東京の大学を卒業後、宮城県綾町の自然生態系農業を行なう農家で半年間ボランティア。3年間の会社員生活を経て、「ごはんミュージアム」施設スタッフに転職。仕事のかたわら、日本の身近な食材のおいしさを広める活動を行う。